「ほねみ」とサヨナラします

 コーヒーの粉をカップに入れるとき、いつも少なすぎるか
 多すぎてしまう、木戸一敏です。

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 本日のテーマ : 「ほねみ」とサヨナラします

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先週、木曜日に
モエル塾勉強会IN東京が開催。

ホント、心からすごいと思うのは
多くのメンバーが
「そんなことまで言っていいの?」
というくらい本音を言ってくること。

本音を言える勇気

素晴らしいです!!

本音で話をするから
みんなも私も本音で話をする。

こんな好循環に
なっているんですね。

親しい人との間でも
なかなか本音で話をすことってないので
こういった場はすごく大切だと
改めて感じました(^^)

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■「ほねみ」とサヨナラします

 

●突然の話ですが
私の肩書きにしていた
「ほねみ」を使わないことになりました。

その理由を順番に
お話したいと思います。

「ほねみ」という言葉の出所について
知っている人もいれば
知らない人もいると思いますので
お伝えします。

 

 

●「ほねみ」との出会いは
5年前になります。

私が主催した営業トークセミナーに参加した
アスパイラルの山崎さんが⇒ http://blog.aspiral.jp/?eid=728257
「イエス3連発トーク」に
深く共感してくれました。

「木戸さん、『イエス3連発トーク』は素晴らしいですね! 
 これは営業の場面だけではなく、
 上司や部下、友人や家族、自分以外のすべての人との関係を
 スムーズにするトークですよ! 
 『イエス3連発』は
 『ほめる』『ねぎらう』『みとめる』の『ほねみ』ですね!」
 

私もこの「ほねみ」という言葉に共感し
山崎さんにお願いをしました。

「『ほねみ』って素晴らしい言葉ですね!
 『ほねみ』の言葉を私も使わせてもらって
 広げていくことをしてもいいでしょうか?」

「ほねみ」を使う許可をもらい
セミナーやメルマガ
いたるところで「ほねみ」の言葉を
使うようになりました。

 

 

●そして今年末に「ほねみ」の本を出すことを
山崎さんに報告したところ

なんと!

ちょうど山崎さんも
「ほねみ」の本を出すところだというんです。

「ほねみ」の言葉を使う許可は
いただきましたが
出版ということになると
著作権の問題が発生してきます。

「ほねみ」の名乗り親である
山崎さんが「ほねみ」の本を出すのが当然の話ですので
今回私が出版する本では
「ほねみ」の言葉を使わないことにしました。

山崎さんは今回の出版を機会に
「ほねみ」を広げる活動を始める話も聞きました。

 

 

●「ほねみ」すごく温かかみがあって
親しみやすい言葉なのでとても残念ですが
山崎さんの迷惑にならないよう
今回のことをきっかけに
「ほねみ」に代わる言葉を掲げていこうと決めました。

4年前のメルマガで
「ほねみ」の出所をお伝えしたっきりなので

「『ほねみ』は木戸が考えた言葉だと思っていたのに」

という人にとって
戸惑わせてしまったことに
お詫び申し上げます。

山崎さん
今までありがとうございます!

 

 

●実はこれ先月の話で
モエル塾メンバー全員に伝えて
「ほねみ」に代わる言葉を
2週間にわたりみんな考えました。

そして、素晴らしい言葉が
みつかりました!

 

これです!!

 ↓

 ↓

 ↓

 

●【みとめの3原則】です!!!

【みとめる】ことをすれば
すべてがうまく行く!

ただ…

そうはいっても、
認められない人もいます。

価値観や考え方がまったく違う人を
心の底から認めることなんてできません。

 

 

●そんなときは、
認めることをしなくてもいい。

「見とめる(=受けとめる)」
だけでいいんです。

「見とめる」ことをやり続けることで
「認める(=受け入れる)」ことが
できるようになるからです。

認めることをやり続けると、今度は
「皆豊める(=受け入れ合う)」という
最高の関係を築くことができます。

「見とめる(=受けとめる)」

  ↓

「認める(=受け入れる)」

  ↓

「皆豊める(=受け入れ合う)」

これを「みとめの3原則」と呼びます!

 

●「ほめる」も「ねぎらう」もすべては
「みとめる」ことがベースにあって伝わるもの。

「みとめの3原則」をみんなで広げて日本中、
いや世界中が「皆豊める」よう
顔晴ります!

 

「みとめの3原則」をよろしく!

 

メルマガのタイトルも近々
変えますので楽しみにしてください!(^0^)/

 

 

■今日のチェックポイント
『売れる営業マンは、自分以外の人も自分も「みとめる」』